プロフィール

自己紹介

福原晃子 1981.7.29 しし座 A型

出身 岐阜県関市
動物占い コアラの中のコアラ
資格

歯科衛生士

ケアマネジャー

ホワイトニングコーディネーター

TC(トリートメントコーディネーター)

 

<誕生、家族>

1981、私は田辺家の長女として産まれました。

その六年後に妹が産まれ、そしてその四年後に双子の弟が産まれました。

四人兄弟の長女として育ち、10歳離れた双子の弟がいたのですが、当時の私はもうそれはそれは、やきもちやきの甘えん坊でした。今思い返してみると、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

私は、三歳のころからモダンバレエを習わせてもらっていました。週2回のレッスン以外に、コンクールやミュージカルのレッスンを受ける為に、片道2時間もかかる場所まで通っていた時も母は乳飲み子のいる状態でも搾乳したりして送り迎えをしてくれたりしました。ただ、当時の私はそれが当たり前のように思っていて、感謝の言葉を母に伝えれていませんでした。

今、自分が母親という立場になり、いろいろ思い返してみると、どれだけ母ががんばっていたか、愛情を注いでいてくれたか、本当によくわかります。お母さん、ありがとう。

 

 やがて、妹や弟も大きくなってくると、ケンカもたくさんしましたが(笑)兄弟みんなで毎日、本当に楽しく過ごしました。車に乗れば、大合唱。カセットの曲に合わせて、誰の声が一番大きいかわからないくらい。家でも、毎日がお正月!?というくらい、トランプやゲームなど、大騒ぎで遊んでいました。

 

そんな環境で育ってきたからでしょうか。私自身も、子供がたくさんいて、子供同士が毎日楽しそうに遊び、笑いの絶えない家庭にしていきたいなと日々願っています。

 

 私の両親は、季節ごとのイベントを大事にしてくれていました。クリスマスには、地植えのモミの木を用意し、ケーキも子供たちに手作りさせてくれました。節分には、父が鬼のお面をかぶり、家中豆だらけに。しょうぶ湯やゆず湯も結構本格的にしてくれてました。冬には、岐阜ですから雪もわんさか降ります。その時も、両親は子供にまじって雪合戦やかまくら作りもしてくれました。

 

最近色んな所で、私を見かけるとよく言われます。実は私のイベント好きは、両親ゆずりです(笑)今はバタバタしていて、まだまだ子供たちにいろいろさせてあげれていませんが、これからどんどん伝統的な行事も体験させてあげたいなと思っています。そして、両親からもらった愛情を、自分の子供たちにもどんどん注いでいきたいと思います。

 

<学生時代、社会人>

 私は、高校くらいまではかなり臆病で人見知りの強い方だったと思います。

男子とお話するなんて、とてもとても!といった感じです。

でも、好きな人はいましたよ。青春っていいですよね。

廊下をすれ違うだけでもドキドキ。同じ電車に乗りたくて、ちょっと早起きをがんばったりした時もありました。

今はもちろん旦那様にドキドキですよ(笑)

 

衛生士学校に通うようになってから、ちょっとだけ変わりました。

もともと慎重派の私だったと思うのですが、良いのか悪いのか、ちょっと大胆になりました。

電車で二時間程かけて学校に通ったから大人になった感じがしたのでしょうか。

それまで行動を起こすのに、まず下準備、下準備、計画を、、、といいながら行動を移すのに時間がかかったり、結局行動に移せないまま終わってしまうということが多かったのですが、このころから「まずやってみる!」「ぐちぐち考えていたら今が終わっちゃう!」と思うようになりました。

 

行動!行動!ということで、社会人になり30万で車をゲットし、運転するのが好きな私は何故か下道で岐阜から京都まで7時間かけて友達に会いにいきました。夜景が好きな私は、一人で山道を夜中運転し、たくさんのカップルの中、よく夜景をみてたりしていましたよ。

 当時はこんなことしていましたが、今でも「まずやってみる!」は私の合言葉です。

失敗したら次から直せばいい、やってみないと失敗がわからない。

どんな小さなことでも、ちょっと前向きに考えれるようになり、結構役立ちます(笑)ちなみに、私の娘は三歳の時には、「まず、やってみないとね」と口癖にしてくれていました。

 

<勉強>

この「まずやってみる!」は仕事を始めてからも、本当に役に立ちました。

歯科衛生士の仕事をしながら、ケアマネという職種を知り、歯科衛生士の分野からも、口腔内のケアも含め、介護福祉に関われるということで興味を持ちました。仕事をしながらの勉強、合格率が20%という一般的には難しいとされている資格もがんばって一発合格!!以前の私なら考えられません。

 

TCの資格は、自宅での課題も多く、睡眠時間もほとんどないセミナーなのですが、当時、第2子授乳中で搾乳しながらセミナーに参加し、後半は第3子を妊娠し、つわりと闘いながらという状態の一年でしたが、旦那様の協力もあり、みごと全国各有名歯科医院の受講生の中からベストTC賞という賞も頂くことができました!できない理由をあげれば、いくらだってでてくるけど、「まずやってみる!」を合言葉にがんばれば、なんとかがんばれる!という自信になった一年でした。

 

<出産>

子供はありがたい事に三人の子供に恵まれました。

 第1子はH21年、なんと私と同じ誕生日に産まれてきてくれました。

本当は、その10日後が予定日だったのですが、マタニティビクス教室をがんばりすぎたからでしょうか?

それとも娘がお母さんと同じ日に産まれてきたいと思ってくれたのでしょうか?

私の誕生日の前日におしるしがあり、まさかと思いながらちょうど検診の予約もあったので受診すると、もう産まれますよ!とのこと。そのまま入院し、翌日の私の誕生日、主人が仕事を終わってかけつけた直後の出産でした。

 

もう、初めての出産は衝撃的でした。

 

陣痛中は、すでに出産を経験した友人や自分の母や祖母、お子さんを連れて歯科医院に受診されてたお母さん、街ゆくお母さんの顔までも走馬灯のように頭のなかをよぎり、出産をされたすべてのお母さんを尊敬し、ずっとなきながら「みんなすごいね。みんなすごいね・・」言っていました。はじめて抱く赤ちゃんは思っていたよりもずっと小さくて、そしてかわいくて、ただただ感動でした。 

 

第2子は、その2年後のH23年、この子はおじいちゃんと同じ誕生日の出産でした。

予定日の翌日の出産だったのですが、数日前より産婦人科の先生よりなかなか予兆がなさそうと言われていましたので、毎朝汗をかきながらウォーキングをしていました。

そして、まだかなまだかなといいながら、まさかこの子も誕生日が重なったりしてなんて冗談を言って笑っていたのですが、予定日の夜、突然パチンと破水し、あわてて病院へ行き、翌日の出産となりました。

経産婦は早いという言葉に油断していましたが、やはり何回目でも陣痛は大変でした。

特にこの子は旋回がうまくいかなくて、全開になってから数時間かかりました。

途中、余りの陣痛の辛さにずっと隣で支えてくれた看護師さんに弱音を吐いてしまいました。

 

「もう嫌だぁ。この痛み早く終わってほしい、、、」

 

すると、看護師さんから激が。「赤ちゃんだって苦しんでいるんだよ。

赤ちゃんも聞いてるよ。そんなこといちゃだめ!」その言葉にハッとし、そこからは赤ちゃんに話しかけ、弱音も吐かないようにしました。その看護師さんには本当に感謝しています。

 

破水からだいぶ時間がたってしまったということで、帝王切開にという話になり、オペの準備がはじまりました。カチャカチャという音が聞こえ、少し緊張感のある雰囲気になってきました。すると、急に赤ちゃんが旋回を始め、そこからはあれよあれよという間の出産でした。「会いたかったよ~」と半泣きの状態でした。

 

第3子はH25年の二月に産まれてきてくれました。

予定日のちょうど一週間前、夜中になんかお腹が痛い、もしや陣痛?と思いながらも、数日前より前区陣痛もありましたので、いやいやまだでしょう、と色々家事などしておりましたら、う~ん。やっぱり規則正しい痛み、、、ということで、この子は陣痛からの出産でした。夜中に陣痛が始まり、病院に電話したところ、経産婦なので、すぐ向かったほうがよいとのことでしたので、上の子二人にコートを羽織らせ病院に向かいました。

 

寝たまま子供たちを連れていけるかしらと思ってみたものの、もちろんそんなわけにもいかず、子供達はただならぬ雰囲気にあっけにとられ、第2子は病院につくなり大泣きでした。病院まで送ってくれた主人はその後、主人の実家へ子供達を。第2子の時もそうでしたが、夜中にもかかわらず、快く子供達を受け入れて下さり、子供達も私が入院中さみしいということもなく楽しく過ごさせていただいたようで、あらためて色々な人たちに助けられ、私は本当に幸せだと感じました。第3子は8時間ということで、比較的安産で産まれてきてくれました。初めて日が沈む前に出産をしましたので、キラキラ太陽が差し込む分娩室で泣くわが子は、やっぱり3人目でも、もちろん可愛くて、ずっとずっと抱っこしていたかったです。

 

というわけで、現在3人の子供と毎日、格闘しながらがんばっております。

母になって改めて周りの方たちと出会えた事、いつも助けられている事に感謝の気持ちでいっぱいです。

そして、母としてはまだまだ初心者マーク。

これから色々な事があるかとおもいますが、子供達と一緒に色々な事に感動したり、楽しんだりしていけたらいいなと思います。